今年2月、祖母が103歳で大往生をとげました。
昨年、父がちょっと先に逝ってしまったのは残念だったけど、父の分まで心安らかにお見送りできて
ホッとしています。

そんな祖母の四十九日法要を前に、家族で遺品整理をしていたら、タンスの奥から
朱色の書箱が出てきました。

その中身とは・・・。まさに100年の歴史を感じる品ばかり。
鑑定団のお世話になりそうなお宝は出てこなかったけど、昭和初期の生活の風情がわかる品々は
母の世代には懐かしく、私の世代には博物館でよく見るレベルで、出てくるたびに盛り上がりました。

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若いころ親族の葬儀を取り仕切った時の香典帳

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殆ど5しかない、成績優秀な自慢の息子(父)の小中学校の通信簿。
(※家族一同、自分のものが出てきたら速攻亡き物にしようとビクビク・・・)
(※でも毎年先生からの通信欄には「成績は優秀だが失敗は多い」とあり、一同苦笑)

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父が小学校卒業式の時に卒業生代表として持ちかえった在校生からの送辞
小学生にしてこんな達筆な字書くか?!

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当時の通貨価値にしたらたいそうなへそくりだったに違いない古銭

 

そして、箱の一番底には、また紐できつく縛られた箱が。

中にあったのは、戦争で亡くなった私の祖父が、戦地から妻(祖母)や息子(父)に送った手紙。

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検閲済みの判も押された軍事郵便専用はがきで、多分どこに赴いていたのかはわからないように
差出住所は日本国内になっていましたが、内容からしてどこか暑い南の島だったのだとわかります。

息子には子供が喜びそうな挿絵付きで、少し字を覚えたらすぐ読めるようにカタカナで。
妻には書きたいことが溢れて仕方ない位、白紙のはがきに米粒のような文字でびっしりと。

心の底から二人の事が心配で、会いたくて、帰れる日を信じて、
時間の許す限り何度も送ったのでしょうね。

息子への手紙(一部)

tegami

〇〇君、元気ですか、お父さんも毎日元気に働いております
昨日、お母さんからのお便りと一緒に、おじさんもお手紙をくれました。
その中に坊やの画が描いてありました。オーバーの襟などそっくりで、
坊やがオーバーを着て寒い寒いと遊んでおるのが目に見えるようです。
ここにも坊やと同じような島民の子供がおります。
こちらは暑いのでお正月でも裸で裸足で遊んでおります
色は黒いがとても可愛い子供たちです。ではまた次に。さようなら。

〇〇君 ゆうべお父さん、君の夢を見た
ヒコーキやキカンジュウのお土産を買ってお家へ帰ったら、
太子堂の方から三輪車を押してヨチヨチと歩いて来た。

夢で見た坊は小さかったが、もう大変大きくなったろう。
おばさんにグライダーを買って戴いたそうだが、有難うと言ったかね。
こちらの島民の子供も物をやると「コンモール(有難う)」と言います。
誰でも物をいただいたら有難うと言ひなさい
お父さん帰る時、本当にヒコーキやキカンジュウを買っていきます。さようなら

 

妻への手紙(一部)

本日小包が届いた。先便も書いた様に最近繰り返し繰り返し子供の夢を見た。
(中略)
あの弱い子供を今まで風邪も引かせず育ててきたお前もさぞ骨が折れた事と思ふ。
自分の留守中心身の受けた打撃は女としてさぞ大きかったことと思う。

しかし、お前はじめ〇〇の今後十分気を付けて過ごす様、それのみ祈っております。
最近現地一線はともに活気付き、戦友一同祖国の為充分の覚悟をして頑張っている。
自分も幸い体だけは充分自信がつき勤務している故安心してくれ。
ご近所にもお礼状を出しておいた。現在封書の通信が禁じられている故葉書だ。
小包を頼んで間がないのに早かったので驚いた。
四月二十五日付の便りが飛行便で行った事と思う。
良い物ばかりで非常に嬉しかった。
今後蚊取り線香は送らなくてよい。甘い物もよいから〇〇にやってくれ。
欲しいのは便りと本だ。

 

当時父はこれを読んだだろうか?
年齢にしてまだ3~4歳だったろうから、たとえ「これがお父さんからの手紙だよ」と見せられても、
意味まではわからなかっただろうし、葉書をよく見ると、車の落書きもしてあるので、嬉しくて遊んでしまったというその無邪気さが逆に切なくなってしまいました。

もしも祖母の方が先に亡くなっていたら、遺品整理の際に父は読めたかもしれないけど、それはもう仕方ないことなので、せめてもと、「遅くなっちゃったけど、じっくり読んでね♪」と仏壇に手向けてきました。

私にとっては、当時の写真さえ残ってなくて、顔も知らない祖父だったけど、今度から仏壇に手を合わせる時、何やら声が聞こえてくるような気がします。

タンスの奥の赤い玉手箱。
開けた私達が年を取るのではなく、時間をさかのぼって家族の実感を与えてくれたお宝がありました。