人間の三大欲求は何か。
人間が生命を維持し、種を存続させるために不可欠な基本的欲求といえば、いわゆる定番の3つですが、時としてその内容と順位はめまぐるしく変わります。

ちょうど終わりを告げた冬季五輪のメダリストのように、不動のレジェンドもいれば時代のニューヒロインもいる。

私の場合、こんな半年ぶりにブログを開いといてどの口が言う!とお叱りを受けるかもしれませんが、忘れたころに「執筆欲」と「写真欲」が突如顔を出すのです。
それは家族もいない休日に、一人まったり大好きなゲームでもやれる絶好の時間を覆すくらいには。

 

敬愛するフォトグラファー南雲暁彦さんの新著「ライカで紡ぐ十七の物語」を、去年10月の発売記念イベントでフラゲしておきながら、公私ともにバタバタとした時期もあって、途中でページを閉じてしまったのがずっと心残りで、先日もう一度最初から一気に読破しました。

本作は玄光社のWebサイト「Camera Fan」に掲載された連載企画「南雲暁彦のThe Lensgraphy」を再構成、厳選した17のフォトエッセイを書籍化したもの。
写真とともに撮影レンズの歴史や機能が語られる他にも、そのレンズの持つ質感とリンクした自分の体験や思い、時にはカメラとはまったく関係ない話も交えながら、写真を撮るということがどれだけ豊かで、どれだけ人の気持ちを映し出すのかを教えてくれます。

レンズカタログなどの作例集ではあまり見られない味わい深い写真の数々からは、被写体や風景を俯瞰で見たり、逆にぐっと突き詰めて寄り添ったり、空気を読んだり、読まれたり、まさに人が生きていく難しさと楽しさと同じなのだなと感じました。

ライカを冠した本には間違いないけど、写真の質感は機材だけで決まるのではなく、どんな気持ちでシャッターを切ったのか、どんな光を好きだと思うのか。
その人が見た世界は、その人にしか撮れない。
それはライカでも、スマホでも、変わらないのだと。

 

この本で、私が一番刺さった文章を少しだけ引用させてください。

 

第14鏡 青い炎
「刹那」
撮る側も、撮られる側も、機材も、あまり撮影を意識するものではなかった。
僕がいて、学生がいて、ヘクトールがあった、そんな時間が一瞬流れただけだ。

「刹那」、それだけが写真の本質かもしれない。

(引用:「ライカで紡ぐ十七の物語」/南雲暁彦著 より)

普段ならあまり撮らないような場所を通りかかったとき、ふと雰囲気が面白そうと立ち止まってふとシャッターを切る。

確かに、そんな瞬間の方が(自分に)刺さる写真が撮れることが多いです。
誰に向けたわけでもなく、いわんやSNSでいいねを狙うわけでは毛頭ない。
たぶん自分一人がにやりと眺めて、「いいんじゃない?」とほくそ笑む。

でも、その刹那こそが写真の本質なのだとしたら、私はきっと一生写真を撮り続ける(頻度は度外視でも!)んじゃないかな。

南雲さんは以前ブログでも「シャッターは心で押すもの」と語っていたけど、かといって概念や感性だけでも写真が成立するわけではないことは知っています。

21本のレンズと二十一話のストーリー -Milestone-(南雲暁彦公式サイト/Blog)

 

カメラを構え、ファインダーを覗いてダイヤルをまさぐるより、はるか昔にもう心は何かを感じてシャッターを切っている。
遅れて物理的にカメラのシャッターを切っても、できあがった写真と心が震えたイメージを同期させるのはまるでライカのレンジファインダーの二重像のように難しい。

自分のイメージに自分の撮影テクニック(設定とかレンズ選びとか)が追いつくまでにあとどれくらい撮ればいいのか。
逆に勉強より大事なで豊かなインプット/アウトプットを繰り返して初めて気づく景色がある。
その永遠のバランスはまだまだ長い(?)人生、楽しむまでだ。

南雲さんの著書はいつも、「僕はこう生きた。さて、君たちはどうする?」と言っているような気がする。

宮崎駿か?

とりま、背筋を伸ばしてとりあえずカメラを持って外に出たら、思いっきり影響受けすぎてて自分で笑ってしまったけど、そんな思いの伝播もまた写真なのだと。
特別な写真が撮れたわけじゃないけど、この色が好きだなと感じるものに出会えただけでこの本を読んだ意味は十分です。
カメラ久しぶりすぎてまたリハビリだ!

 

 

 

ライカで紡ぐ十七の物語 [ 南雲 暁彦 ]
created by Rinker