毎日同じような時間に通勤していると、常連の顔見知りがちらほらでき、たまに顔を見ないと「今日は寝坊したのか、お休みか・・・」と思ってしまう位の連帯感は生まれるものだ。
前まで新聞を雑誌サイズに折って、器用に読み進めていたサラリーマンはタブレットでデジタル版新聞に持ち替えたし、カバンから取り出すイヤホンコードがいつも絡まってイライラしていた女子は、完全ワイヤレスイヤホンでノリノリに頭を振り、スマホで漫画を読みふけっていた学生はAmazonプライムか何かでダウンロードしたアニメで涙ぐむ。
なにを言いたいかと言えば、ラッシュアワーというものは、普段では家族や恋人以外ありえないような距離感で数十分を共にすることで、干渉しないように無理に意識を外へ飛ばしながらも、否応なく近くにいる人の行動や変化が見えてしまう(見られてしまう)ということだ。
最近ではあまり見かけなくなった紙の書籍で読書していた人を見て、「あの新刊読んでみたかったんだった」と思い出し、電子書籍で探すもその作家は電子化されてないことを知り、ちょっとがっかりしたこともあった。
そこでふと思う。書籍もカバーで表紙を隠さない人は、面倒くさいだけだろうか、カバーが気になって読めないのか、それともこの作品を読んでいる主張をしたいのか。
そのどれでもないかもしれないが、趣味趣向の心の駄々洩れのような、逆に密やかな主張のような、電車のドア広告くらいの価値はありそうなアピールスペースではある。
私は普段電車ではスマホしか開かない。読書も電子書籍だ。
スマホを目の前に掲げる状態ですらない混雑時は音楽を聴きながらスマホをしまえば、私が何をして何を考えているのかは誰にもわからない。
安物のイヤホンといえど、サウンドマナー激甘なシャカ男ほど落ちぶれていないので、20cm向かいにいる人ですら私の耳の中で響く音はわからない。
でも、ちょっとだけ確信犯的に主張したくなって、こんなものを作ってしまった。
本のスマホケースシリーズ (スマホカバー館.com)
「胸に手を置けばそこで鳴ってる」は、星野源「アイディア」の歌詞の一節。
私の通勤BGMはdヒッツのダウンロードプレイリストか、今なら星野源の「POP VIRUS」か。(4週連続ランキング1位おめ。)東京ドーム公演までは予習にいとまがない。
ので、今はプレイヤーを止めても体の中で鳴り続ける程度は、星野源は私の中で血となり肉となり、そしてネタにもなる。
一度だけ電車でこのケースを開いた。
3人に二度見された。星野源が本を出したと思ったのか。彼を題材にした書籍が発表されたとでも。それとも帯の「売上100万部のベストセラー」にびっくりしたのか。
このケースは、タイトルと著者を自由に設定できる完全ネタ作りケースである。
とはいえ、皮の触り心地もよくて持ちやすいし、カードポケットはあるし、ケースのままカメラも使えるし、耐ショックのクッション性も高く、スマホケースとしてそもそも上質だ。
その上で、単なる本のパロディケースではなく、ちゃんと新書に見えるようなサイズ感とカラーリング、そしてありがちな明朝系フォント。本棚に自立するし、帯やバーコードのディティールもさることながら、作者紹介としてTwitterのプロフィールを入れられ、本当に「一瞬」本に見える。
リアルな書籍を出している人は、タイトルや作者を模してその宣伝ツールとして見せびらかすのも一興だ。なんたって「売上100万部のベストセラー」(希望的見解)だから。
ちなみに、この帯のキャッチコピーは残念ながら変えられない。
そのあたりもオリジナリティが出せるようになると、もっと違う意味で活用する人は増えるのかも。
ほとんどのスマホ機種ごとの専用ケースで作成できるのはとても便利だけど、サイズ感がぴったりすぎて、若干着脱しにくいのが唯一残念なところ。
それでも、外して他のケースに付け替えてた後も本棚に星野源のアルバムと並べて鑑賞できるのはこのケースならではの魅力だ。
実際の出版はできなくても、自分の願望を、心の声をカタチにして、いつも胸に抱いて過ごすのはちょっとだけ幸せになれる。
本のスマホケースシリーズ (スマホカバー館.com)