又吉さん、「火花」芥川賞受賞おめでとうございます!(←友達かw
私は電子書籍版が出版された日に購入し、読んでみましたが、あの言葉のチョイスにズキューンと撃ち抜かれました。
【「火花」あらすじ】売れない芸人・徳永が、天才肌でストイックな先輩芸人・神谷と出逢い、笑いの道の真髄と葛藤を議論しながら、生き方を模索していく。交錯した二人の人生は、やがてまた二つにわかれてゆく。
さすが太宰好きとか、芸人が芸人の世界を描くリアリティだとか、文章力がすごいとか、語彙力とか・・・そんな問題ではないんですよね。
哲学的表現なんだけど堅苦しさでもなく、ただただ心に何かが刺さりまくるというか、ひっかき傷のように、後から疼くとか、えもいわれぬ人生観に引き込まれます。
気になる箇所にすぐにマーキング(ハイライト)でき、後で一覧表示できるのが電子書籍のいいところですが、気がついたらハイライトだらけになっていて、電子書籍生活を始めて以来、こんな数になったのは「火花」が一番かも。
受賞前に Sony Reader Store に読書レビューを書いたら、受賞後の反響が凄まじくてちょっとびっくり。「半沢直樹」ブームの時より瞬間風速がね!
さすが有名人。さすが芥川賞。
でも、ストアレビューであんまり長々書くと嫌われるので(笑)、書ききれなかった分をブログでぶちまけてみようと。
ごく一部ですが、私がひっかかった一節を少し引用してみました。
漫才師とはこうあるべきやと語るものは永遠に漫才師にはなられへん。(中略)本当の漫才師というのは、極端な話、野菜を売ってても漫才師やねん。
(好きな彼女の知りたくなかった真実を聞いて)想像力というのは自分に対する圧倒的な暴力となる。
俺な、自慢じゃないけど、保育所で習ったことだけはしっかり出来てると思うねん。ありがとう、ごめんなさい。いただきます。ごちそうさまでした。言えるもん。小学校で習ったこと、殆どできてないけど、そういう俺を馬鹿にするのは大概が保育所で習ったことも出来てないダサイ奴等やねん。
誹謗中傷は・・・・・(中略)、他を落とすことによって、今の自分で安心するというやり方やからな。その間、ずっと自分が成長する機会を失い続けてると思うねん。可哀想やと思わへん?(中略)俺な、あれ、ゆっくりな自殺に見えるねん。
こんな夜だけは、僕と神谷さんさえも相容れない。東京には全員他人の夜がある。
(「火花」又吉直樹 著/文芸春秋 より一部引用)
また、印象的なシーンとしては、井の頭公園で徳永と神谷が泣いている赤ちゃんをあやす場面。
神谷はふと思いついた「蠅川柳」(←これがまたシュールで秀逸w!)を何句もつぶやき、徳永は「定番だから」と言って全力で「いないいないばぁ」をやる。どちらも赤ちゃんは笑わない。
一人は相手が誰であってもぶれずに自分のスタイルを全うしようとし、もう一人は自分の考えをいかに適切に伝えるのかを試行錯誤している。
どっちが正しいのか、というより、どっちの生き方も辛そうだけど、貫くのはどちらもかっこいいかも。
そんな二人のラストは、想像の斜め上を行った芸人らしい「オチ」もありつつ、表の栄光とは関係なく、生きてる限り根底に流れ続ける芸人の血が誇らしげで、何ともうらやましい生き様だと思いました。
私には、やり続けずにはいられない、一生あり続けていたい姿って、あるのかな。