えっ!10連休のGW、そんなものありましたっけ?
新旧天皇の代替わりや改元関連のニュースは、正座して生中継を見ながら、自分に流れる日本人のDNAを感じたけど、それ以外の日はあまり記憶が・・・。

GW前後に結構エキサイティングな体験が控えていたから、逆に10日間は(知力&体力&財力を)温存するための、動物としての本能だったのだろうか。

その「前後」の「前」。まずは、4月のある晴れた日。
SONY α7 III に父のオールドレンズを付けて、とあるオールドな場所に出かけてきました。

明治時代に首都東京と横須賀軍港などの防衛目的で東京湾に作られた3つの人工島「海堡」のうち、今年から正式に民間人の観光が解禁となった「第二海堡」。

その見学ツアーに向けて養成されたツアーガイド「TOKYO BAY Navigator」の初陣を兼ねたモニターツアーの募集を新聞で見つけ、締め切り前日に慌てて応募。こんなデジタルの時代でも新聞は読むものだな!

午後便は競争率が激しそうだったので、午前便70名枠に滑り込みセーフ。(横須賀にam8:00集合のハードルは案外高かったかも。)
2014年にテレビ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」がメディア初上陸を果たした映像を見て以来、歴史好き廃墟好きの憧れの的であり悲願でもあったので、ただただ当日の出航可能な好天を祈るばかりでした。

当日は朝から快晴! やるな!私の人徳(←激しい勘違い
前日まで寒かったし、海だし・・・と春コートを着て行ったのを激しく後悔するほどの気温上昇。
(まぁ半分は萌えさかる心の炎の温度だったとかなかったとか)

ツアーは横須賀・三笠桟橋をチャーター船で出発し、まずは近くの無人島・猿島を散策した後、本丸の第二海堡へと渡ります。

海に浮かぶラピュタのような島「猿島公園」

猿島

三笠桟橋から10分ほどで猿島へ到着。
今は海水浴場やバーベキュー場など人気観光スポットになっている猿島も、昔は軍事施設として砲台が置かれて東京湾の首都防衛拠点となった場所。
当時の砲台跡や弾薬庫跡を眺める散策路を、ガイドの解説を聞きながらまわります。

一人一台のレシーバーで少し離れてもツアーガイドのマイク音声を追える

DSC08532

猿島の中での撮影レンズはすべて「G.ZUIKO 35mm F2.8 」。
色褪せた赤レンガと苔の緑のコントラストが心地よく、昔の風景や空気感を映し出すには素晴らしいレンズ。
ほんと、レンズには新しいとか古いなんて、優劣でもなんでもないんだなぁ。

⇒猿島で撮影した写真一覧(flickrギャラリーへリンク)

昔の隆盛を思わせる廃墟の上に緑の木々が生い茂り、まるでラピュタのような風景が広がる猿島、滞在1時間は本当に駆け足で、参加者からはすでに「もっといたい!もったいない!」の声。
今日のメインディッシュはこれからなのに。先が思いやられます。

私もはげそうなくらい後ろ髪ぎゅーぎゅーだったので、絶対また撮影目的で渡ろうとリベンジを誓いました。

今も昔も東京湾の平和を守る「第二海堡」から見た景色

第二海堡

(゚∀゚)キタコレーーー!!
猿島を後にし、東京湾沖に向かって15分。浦賀水道を横断して千葉県側に進むと、第二海堡がみえてきます。房総の陸地からも遠くなく、君津の製鉄所がバックに見えるので、「軍艦島」のような要塞感も満載です。

房総半島や三浦半島からじゃ攻めてくる敵艦隊に大砲が届かないからといって、「んじゃ海に作ればよくね?」って考えるのは簡単だけど、明治時代にホントに造るって、昔から「ものづくり日本」の高い技術と諦めない勤勉さは神ですね。

40年以上かけて3つの海堡を作ったのに、本格稼働もしないうちに関東大震災の被災で施設が崩壊、加えて技術進歩により砲の射程距離や射撃精度が向上したことから、修復されることなく砲台の役割を終えたのはもったいないような、でもそれを使わずに済んだのが良かったような、なんとも複雑なところ。
第二海堡ギャラリー

戦時中は一時対空高角砲が設置されたため、戦後に米英軍により破壊され、基本的な施設は原型をとどめていないものの、現在では海上防災の訓練センターや灯台が設置され、今も昔も東京湾の安全を見守る役割だけはしっかり担ってるのはロマンがありますね。

 

2019年春 旅行会社による第二海堡観光ツアーがいよいよ解禁

これまで一般民間人の上陸が禁止されていた第二海堡が観光ツアー解禁になったのは、海好き、軍好き、歴史好きのみならず訪日外国人にもたまらないスポット爆誕でしょう。

第二海堡ギャラリー

ただし、個人がボートで気軽に立ち寄れる訳ではなく、上陸は旅行会社主催のツアーのみ、上陸後もツアーガイドに先導されるコースのみを歩き、多分ほとんど自由時間はありません。

それでもやっぱりガレキだらけの島に降り立ち、島の中から陸に向かって湾岸の街並みを眺めると、「あそこで暮らす私達を守るために作られて、(実際に使われなかったとしても)そのおかげで今があるのかもなぁ」としみじみ。その思いと風を味わうだけでも来たかいがあります。

 

島のほぼ中心でひときわ目を引くのは「防空指揮所」だといわれる建造物。
ここの上に立つと東京湾が360度見渡せそうですが、崩壊の危険があるので上ることはできません。

第二海堡ギャラリー

昔はここから見える船を通さないように見張り、今はここを航行する船の安全を見守る。
同じ場所なのに、時代が見える景色を変えるのか。

 

第二海堡ギャラリー

砲台に必要な砲座、砲床、弾薬庫、観測所、電灯所(発電室と探照灯照明所)、居住施設などすべて地下に作られたそうで、地上表面にあったわずかな砲台上部も震災と米軍の破壊により跡形もなくなっています。

第二海堡ギャラリー
小菅の東京集治監製レンガであることを表す桜の刻印。

 

現在も機能する第二海堡灯台は戦後になってつけられたかと思いきや、表示板には「初点灯 明治27年9月」と書かれていました。
第二海堡ギャラリー

砲台や灯台の下もすべて通路で今もつながっているはずですが、崩壊の恐れがあるため調査はおこなわれていないとのこと。今の技術なら遺跡調査のように安全策を取りながら地下調査できないものかなぁ・・・。無人探査ロボットによる撮影だけでも見てみたい!

第二海堡ギャラリー
15cmカノン砲の砲台跡

ちなみに、第二海堡で使った主なレンズは「ZUIKO MC AUTO-MACRO 50mm F3.5」。
遺構巡りは画角を犠牲にしてでも、建造物や瓦礫の質感がよりリアルに映る方を選択してみました。

もう広角が必要な場面はスマホにお任せでいいんじゃないかと思い始めている今日この頃(笑)。

 

鉄腕DASHの初上陸時に、城島リーダーが「イギリス積みや!」と感動した掩蔽壕(えんぺいごう)。レンガの積み方に萌えるジャニーズって・・。
TOKIOのメンバーってあの番組のおかげで、芸能人辞めてもプロフェッショナルになれる技術と知識、とっくに身についてるよなぁ。

第二海堡ギャラリー

地下への入り口も風化と侵入を防ぐために意図的に埋められています。

 

第二海堡ギャラリー

整備・復元して完璧な資料館的観光スポットではなく、この先いずれ崩れゆくような、無骨な瓦礫と廃墟が残る島。
どことなく人を寄せ付けないような、でも何か懐かしいような不思議な時間が流れる島。

第二海堡ギャラリー

東京湾海堡は、不幸にして関東大震災で甚大な被害を受けてしまったけど、多大な経験と教訓により、その建設技術は今日の海洋・港湾建設技術の基礎となっていることは間違いない。
携わったのは50万人以上の日本人。あんたたち最高かよ!

ここでもあっという間に時間は過ぎ、まだまだ見たいのに猿島以上に後ろ髪引かれ過ぎからの抜けまくりで、もはや出家の尼状態。
絶対またリベンジ、いや「追い海堡ツアー」したいです。

(お世話になったグループガイドさん。写真掲載許可済み)

歴史と熱いロマンに負けないくらいの愛情を持って、ツアーをナビゲートしてくれた「TOKYO BAY Navigator」の皆さんも最高でしたよ!初陣とは思えないくらいのスムーズな解説だったのに、写真ばっかり撮ってて終始遅れ気味でごめんなさい(←確信犯

今度はじっくり解説に耳を傾けながらロマンに浸りたいです。

貴重な体験と素敵な時間をありがとう。
またこの桟橋に戻ってくるのはそう遠い日じゃないと思う。

☆第二海堡で撮影したその他写真一覧(flickrギャラリーへリンク)
第二海堡ギャラリー

☆各旅行会社の第二海堡ツアー

はとバス「首都防衛を担った海上要塞に上陸!第二海堡とよこすか海軍カレー
クラブツーリズム「海に浮かぶ明治の人工要塞「第二海堡」へ 旧日本海軍の戦跡をめぐる歴史旅」
JTB「★WEB★第二海堡(かいほう)午前上陸ツアー」
産経たびぶ「東京湾要塞 第二海堡上陸ツアー ~人工島と無人島・猿島の砲台陣地跡をみる」
ポケカル「猿島秘境めぐり&第二海堡見学貸切クルーズ(海軍カレーパン付き)」