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『”家電女子”の成分の50%はお父さんでできています。』

そう書いて父の棺の中に納めた。

最近は葬儀の際、いろんな演出というか仕掛けがあるものだ。
納棺時に底に敷く畳の裏が「おくりことば」というホワイトボードになっていて、親族で故人に送るメッセージを書けたり、香典返しにつける会葬御礼には故人と家族の思い出エピソードが綴られたり、家族と写した写真をスライドショーにして葬儀場で流したり。

もしかしたらもう前からやっていたことかもしれない。でもそんなことは、ただ出席しただけではわからない。送る側にならなければ。

 

2016年を振り返るにあたって、このことを書いておこうと思えるようになるまで、少し時間が必要だった。

 

その日のこと

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「今、会っておいた方がいいと思うって看護婦さんが。」

父が亡くなる1週間前、夕方洗濯物を畳んでいる途中に母から電話。
病気になり、受けた余命を大幅に超え、本人の努力や母の献身的な介護によって9年生きてきて、少しずつ心の準備を・・・なんて思いつつ、いざそう言われたら動揺しないわけはない。

その日は、本当なら天体観測所で夜通し星空撮影会に臨んでいるはずが、天候不順で前日キャンセル。残念だと思いつつ、ちょっと予感はしていたのでほっとしたのも半分。行っていたら、電話も通じなかったし。

病室で起き上がっていて「よぅ!」と片手をあげる父。
想像と違ったけど、体中にめぐる何らかの管と、看護婦さんの困ったような悲しそうな表情を見ると、その時は近いことは予感できたし、母は病室に入る時に「ただいま」と言った。もうここが父のいる最後の場所になったのだ。

それでも、桃が食べたい、冷蔵庫にメロンがあったじゃないかと、母に甘えてフルーツをねだり、せき込むほどがっついて食べる無邪気な姿に一安心し、ひとまず私は次の日帰ることに。

「じゃあね。来週またくるね。」「はい、お疲れさん」

それが父の声を聴いた最後の言葉。

 

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1週間後、出勤途中に地下鉄の中受信した電話に、「わかった、今行く」とだけ告げて切った後、会社に欠勤連絡をし、鞄にあった郵便物も忘れずポストに投函するほど、冷静な自分に少しだけ苛立った。

家族の手を握り「ありがとう」とか、「お母さんのことよろしく頼むな」とか、ドラマのような場面はなく、淡々とその時を迎えた後は、母は最期に着替えさせる浴衣を売店に買いに行き、兄はこれから迎える日々の覚悟をし、義姉は葬儀社に連絡を入れ、それぞれの役割が目まぐるしく動き出す。

通常は駐車場に入るのも一苦労の大型病院でも、緊急の呼び出し時には特別に停められる駐車スペースにあった我が家の車に乗って帰る役の私は、エンジンをかけるのに5回も失敗し、悔しくて涙が滲み、止まらなくなったけど、それは家に着くまでには死ぬ気で止めた。

父の母である祖母は100歳を超え、まだまだ健在。
自宅に帰ってきた父に、「何故私を置いていく」「こんなばかなことってあるか」とすがって泣いた。私と兄はただ手を握り肩を抱きながら見守るしかなかった。

愛されるということ

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一人一人の人生にはそれぞれのドラマがあるけれど、世間というマスの中ではただの一人。10月の三連休を迎える時の葬儀場は順番待ちで、実に5日間、家には父がいた。

親族、幼馴染、同級生、劇団仲間、職場の友人・・。かわるがわる、父の元に集まっては、普通に笑いかけ、冗談を飛ばし、私の知らない父の話をいっぱいして、今とは真逆のガリガリで細面だった父の写真を沢山持ってきてくれた。

父は確かに愛されていた。

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冒頭で書いた「おくりことば」のボード。
母は「私の目を見て手を握ってありがとうと言ってほしかった。」と実に大きな文字で恨み節を書いた。

でも、そう思っていないはずがないし、愛されてないはずがない。

1週間前、私と父の最後の会話は、「文字ピタは新しいPCに入ったか?」だった。
「文字ピタ」とは紙ベースの各種申請書類などの位置に合わせてデータを印刷するPCソフトだが、壊れたPCから買い換えた新PCでそのソフトが使えるのか、それが最後まで気にかかったらしい。

母は文字が下手と、いろんな書類を書くのをいやがるので、趣味サークルの施設利用申請書などをそれで出力していたのだ。

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他にも父は、亡くなる前の2か月で実に多くの家電を買った。
パソコン、プリンタ、冷蔵庫、デジタルダビング機能付レコードプレーヤー。
「最後のおもちゃだ」と言いながら、母がこれから年賀状を出すためのパソコンとプリンタであり、母の寝室にかかせない冷蔵庫であり、母が好きなクラシック音楽を気軽に聴けるプレーヤーだった。

多分、母が自分で買わないけど、なくなったら困るだろう、あれば子供たちがきっと何とか使わせてあげるだろうと残してくれたものだ。
そのおかげで、父の遺した貯金はあの年齢にしてはだいぶ少ないよねーなんて笑い話になったけど、彼なりの母への愛情表現だったかもしれない。わかりにくいよね。

引き継いだ血とこれからのこと

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四十九日法要も済ませ、私は父の形見としてカメラを持ち帰った。

SONY α 100。

昔から父がカメラ好きだったのは知っていたけど、私自身もカメラや写真が好きになり始めたのはつい最近なので、彼がどんな機種を使っていたのか、今回初めて意識して知ることになった。

α100といえば、SONYがミノルタからカメラ事業を引き継いだ後、初めてSONY αブランドとして出したデジタル一眼の初号機だ。

思えば、父は根っからの初物好きのソニラーで、ビデオはもちろんベータ、ビデオカメラも、めちゃくちゃでかいカメラを肩で支え、もう片方の肩にめちゃ重そうなデッキ部を掛けながら運動会を撮っていた記憶がある。今調べてみると、かなり高価だ(笑)。

パソコンはNECからスタートしたけど、初代VAIOタワーが出るやいなやすぐ買い換え。

そんな父がα100に手を出すのは必然だ。
そんな父を見て育った私は、気が付けば、家にあるテレビ、BDレコーダー、パソコン、カメラ、スマホ、すべてがソニーなのも必然だ。

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PC-8801 mkIIが家にあった小学生時代、PC雑誌についていた戦艦ゲームのマシン語プログラム入力を手伝うと父は200円くれた。面白いバイトだった。

父と母それぞれの車にはアマチュア無線機が搭載され、「今から帰ります、どうぞ」とか、今のLINEのような会話をしていたのは、実に不思議な家庭環境だった。

そんな家で育った私が「家電女子」になるのも必然だった。

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α100を手にして、私は時折朝の散歩に出るようになった。

9年の闘病生活と言えば、このカメラを買ってからすぐに病気になり、使い倒すどころか、撮りたい場所や人はまだまだ沢山あったと思う。
亡くなる直前、父はもうとっくにこのカメラで撮影にでかけるなどできない状況で、バッテリーチャージャーを新調し、シャッターの不具合も修理に出していたという。
多分、私が使うことを想定しての最後のメンテナンスだったのだ。

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今のカメラと比べると、間違いなく低スペックだけど、カメラというものは古ければ古いなりの味わいが出る。
何気なく気になった風景を何気なく写して、家に帰って見返すと、私が今まで撮ってこなかったもの、撮ろうとしなかったもの、自分のカメラでは感じなかった光と影がそこには写っていて、とても不思議な感覚になる。

父が撮らせてくれたのか?などという感傷的な想いはない。
けど、カメラが違うと感じる想いも違うのだ。

これから毎月1回は、心を空っぽにして、α100だけを片手に、父と一緒に、父の分までシャッターを押し続けてみようかなと思う。

 

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『”家電女子”の成分の50%はお父さんでできています。』

残りの50%は、カメラと、家電と、家族と、もっと違う何か新しいものを積み重ねていく私の人生。来年もよろしく。

・・・って、今年最後の記事じゃないよ!これからも続くよ!とりあえずね!

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(この記事の写真は、カメラ自体が写っているもの以外はすべてα100で撮影)


One thought on “「家電女子」の成分の50%を埋める新しいもの

  1. 男は、不器用でシャイ、父君の、精一杯の愛情表現だったのでしょう。”ドラマのようなこと”は本当にドラマでだけのこと、普通の男にはできるものではありません。ソンナコトができるとしたら、却って嘘っぽくなります。父君の思いにかなうことは、ただ一つ、のぽりんさんと御家族、母君さん達が、幸せに過ごすことしかありません。どうぞ、お幸せに。

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